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『Musée de l'Orangerie(オランジュリー美術館)』をご紹介します。
少しでも、パリの美術館気分を感じて頂けたら嬉しいです。
目次
①はじめに『オランジュリー美術館』について
19世紀・ナポレオン3世の時代、もとは(チュイルリー宮殿のオレンジ果樹園)として使われていた事に由来し『オランジュリー』と名付けられました。
1927年・クロード・モネの『睡蓮』の連作を収めるために整備され展示するための場所となったのが始まり。
1970年代には、美術商のポール・ギョーム氏が収集した、(ルノワール)(ルソー)(ユトリロ)(モディリアーニ)(ピカソ)(マティス)(ドラン)(セザンヌ)(モネ)など、著名な画家の絵画が寄与され現在の『オランジュリー美術館』のベースが完成しました。
印象派、ポスト印象派の絵画が数多く展示されているパリの美術館です。
②『美術館内』
入り口を入ると両サイドがガラスの窓に覆われているので、とても明るくて開放的な空間。
⇩睡蓮の間は、自然光を取り入れた2つの楕円形のお部屋で構成されています。
⇩『オランジュリー美術館で厳選した絵画をご覧くださいませ』
【Claude Monet(クロード・モネ)】
印象派を代表する『クロード・モネ』。
パリで生まれたモネは、美しい絵画を生涯を通して多く残しました。
オランジュリー美術館で、まず頭に浮かぶのは、モネの『睡蓮』という方も多いのではないかと。
モネの睡蓮は、その圧倒的な大きさから、2つの展示部屋に分かれて展示してあります。
白い展示室にガラスの天井から光が差し込んで優しい自然光が睡蓮をより引き立てています。
睡蓮は、高さ2メートル、幅は全てを合わせると90メートルを超える大作で、二つの展示部屋は大きな睡蓮を見やすくするために楕円形に作られています。
【睡蓮(1915年~1926年)】
自分で前後に動きながら、大きな睡蓮を遠近で見続けていると様々な発見が有ると思います。
【アルジャントゥイユ(1875年)】
アルジャントゥイユは、パリから北西約10キロにある街。
1872年に、モネはアルジャントゥイユに移り住み、約6年間アルジャントゥイユで暮らしました。
アルジャントゥイユをテーマにした作品を数多く残しているモネ。
ご紹介している写真も、アルジャントゥイユの川に真っ赤な船が描かれた印象的な作品です。
【Pierre-Auguste Renoir(ピエール=オーギュスト・ルノワール)】
印象派を代表する巨匠『ルノワール』。
多様な色彩と、優しいタッチで描く美しい女性が印象的。
後期には作風の変化によりポスト印象派の画家として挙げられることも。
【ピアノを弾く少女たち(1892年)】
ルノワールの代表作『ピアノを弾く少女たち』は、オルセー美術館に構図違いの似た絵画がありますので、見比べてみるのも良いと思います。
ルノワールが飾られているコーナーは、優しい光が差し込みます。
じっくり見るもよし、椅子に腰かけて眺めてみるのも良しの開放的な空間です。
地下でも優しい自然光が取り入れられているので、絵画がとても見やすくなっています。
【Henri Julien Félix Rousseau(アンリ・ルソー)】
『アンリ・ルソー』は、49歳で専業画家になり、それまではパリの税関職員さんでした。
ルソーのニックネームでもある『Douanier(ル・ドゥアニエ)』は税関職員であったことが由来になっているそうです。
独学で学んだルソーに対し当時は様々な批評もあったそうですが、現代的な画家のピカソは『シンプルさの新しい可能性』として称賛しました。
【婚礼(1905年)】
ル・ソーの婚礼は花嫁が宙に浮いていたり、犬が不自然な座り方をしていたりと何故か不思議な魅力に取りつかれる絵画。
【ジュニエ爺さんのニ輪馬車(1908年)】
小さな犬と大きな犬、馬車の中にも犬?女の子の人形?など見るものを引き込んでくれる絵画です。
【Maurice Utrillo(モーリス・ユトリロ)】
パリ・モンマルトルで生まれた『モーリス・ユトリロ』は数少ないモンマルトル出身の画家。
素朴な都市の風景画で知られ、モンマルトルの曲がりくねった通りや風景を好んで描きました。
美術史ではエコール・ド・パリの作家として位置づけられています。
【町役場の旗(1924年)】
フランス東部ロレーヌ地方、メックス村の絵ハガキに基づいて描かれました。
お祝いの為に集まったメックス村の人々や中央に掲げられたトリコロールのフランス国旗、白い壁の前の人々や後景には家々が描かれています。
【ベルリオーズの家(1918年)】
モンマルトルに在るベルリオーズの家。
ユトリロがこの絵を描く以前に、作曲家エクトル・ベルリオーズ夫妻が1833年~1837年まで住んでいました。
この絵の可能性として、1914年にドイツがフランスに宣戦布告をした後にフランス国旗が描き加えられた可能性があるそうです。
【メゾン・ベルノ(1924年)】
モンマルトルの丘の上にある、モン・スニ通りを歩く人々。
当時パリから離れたアン県に住んでいた時期に描いたとされています。
パリ・モンマルトルに生まれたユトリロは懐かしく思いながら描いたように見えます。
【Amedeo Clemente Modigliani(アメデオ・モディリアーニ)】
イタリアのトスカーナ地方・リヴォルノで生まれた『モディリアーニ』。
パリで制作活動を行い、芸術家の集まるモンパルナスで活躍し、20世紀を代表するエコール・ド・パリの画家。
【アントニア(1915年)】
長い首と尖った目が印象的。
しなやかで官能的な曲線美が、モディリアーニ独特の表現法で描かれています。
【若い見習い(1918年)】
若い見習いは、物思いにふけり手の上で頭を休めています。
青い目の力強さと白いシャツの襟が特に印象的。
モディリアーニは1918年に数ヶ月だけ南フランスでの療養時期があり、この時期に赤い頭の若い人や、仕事の見習いさん達を描いたそうです。
【Pablo Ruiz Picasso(パブロ・ピカソ)】
スペイン・マラガで生まれた『パブロ・ピカソ』。
生涯の大半をフランスで過ごした画家。
彫刻家、版画家、陶芸家、舞台装飾家、詩人、劇作家でもあり、20世紀で最も影響を与え、ボーダー柄のお洋服も好んで着ていた芸術家の一人です。
【タンバリンを持つ女(1924年)】
ピカソらしいイレギュラーなタッチ。
色彩をずらした3つの潰れた林檎も印象的です。
【大きな静物画(1917年)】
ひとつずつゆっくり、見れば見るほど吸い込まれていく不思議な魅力の大きな静物画。
【Henri Matisse(アンリ・マティス)】
『アンリ・マティス』は、北フランスのル・カトー=カンブレッジに生まれ、絵画だけではなく彫刻、工芸、グラフィックなど多方面に活躍し、20世紀を代表する芸術家の一人として活動したフランスの画家。
【夫人の居間(1921年)】
爽やかな色彩と、きれい目な夫人が印象的。
【Andre Derain(アンドレ・ドラン)】
『アンドレ・ドラン』は、『アラン・マティス』らと共にフォーヴィズム(野獣派)を創設したメンバーの一人で、フランスの画家、彫刻家。
【台所のテーブル(1925年)】
テーブルに配置した食器で十字架を描いている台所のテーブル。
『ポールギョーム、ドメニカ夫妻』邸宅模型
1930年頃の、パリ16区・高級住宅地フォッシュ通り22番地の、ポールギョーム氏とドメニカ夫人邸宅を1/50で再現した模型。
⇩これが繊細で見事なまでに再現されています。
書斎から食堂に至るまで、どのお部屋にも絵画がたくさん飾ってあったことが分かります。
とってもリアルなので、一見の価値ありです。
中世の遺跡
③『最後に』
見学所要時間の参考までに『1時間~1時間半』あれば、ゆっくりと見学できます。
『ルーブル美術館』や『オルセー美術館』に比べると、こじんまりとしている美術館です。
睡蓮の特別展示室を見るだけでも、十分価値のある時間になると思いますが、『オランジュリー美術館』の充実したコレクションは、一度は見ておく価値のあるものばかりです。
カフェとお土産ショップもありますので、睡蓮がデザインされたポストカードや、スカーフ、アクセサリー、文房具なども購入出来ます。
そして美術館の周りには(チュイルリー公園)(ルーヴル美術館)(シャンゼリゼ通り)(コンコルド広場)(オルセー美術館)といった名所がたくさんありますので、美術鑑賞の後に名所巡りをしてみるのもおすすめです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
Musée de l'Orangerie(オランジュリー美術館)
【住所】Jardin Tuileries, 75001 Paris
【入館料】9ユーロ(オーディオガイド:5ユーロ)*オルセー美術館コンビチケット:18ユーロ
【開館時間】月、水~日 9:00~18:00(最終入館 17:15)【火曜日:休館】
【最寄り駅】メトロ①⑧⑫『Concorde(コンコルド)』駅、徒歩5分
⇩『オランジュリー美術館公式サイト』最新情報はこちらで確認出来ます。
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